初めまして、かなりあです。
数年前にこちらのサイトを開設した張本人です。

本来はめちゃめちゃがっつりSEO対策して、自分の興味の赴くままに資産として運用していくことを目的に開設したサイトでした。
気づけばここ数年、いつしかサイトを更新することもなくなり必死に日々を生きていました。

もともと自己内省をするのが得意なタイプではないのですが、
ここ数年抱えていた生きづらさや自己をかえりみる時間がここ数ヶ月増えたので
せっかくならとこちらのサイトに書き残していきたいと思います。

もしいつか誰かが読むことがあって、
生きづらさを感じているなら
「あ〜こんな人もいるんだ。」
と何かの糧にしていただけましたら幸いです。

生きづらさの正体

愛知を出て東京にはるばるやってきたここ数年で克服しつつあるのですが、
やはり苦手なことがあります。

・集団行動
・人ごみ(スクランブル交差点とか、満員電車とか)
・大きな音、尖った音
・拒絶、怒り

東京にきて本当にたくさんの人や情報と出会いました。
意識せずとも情報の海に日々流されながら、ワクワクしながら日々を必死に生きていました。

その中で、よくよく聞いてみるとこの特徴が世間一般で言うところの「HSP」にどうやら当てはまるみたいです。
唯名論に即して考えるとこのモヤモヤした感情や思考にある種の「名称」がつくことでどこかしょうがない、安心という気持ちにもなれる気がするのですがそれだとなんとなくしっくり来ないし、どこか向き合えてない気がするので過去を全部掘り返して、そして起こったことや思考をここに書き連ねていきたいと思います。

いつかこれを自分で見返したときに、また再解釈が起こってその時は今よりもずっと幸せであると信じて。

そもそもHSPとは

私はその道の専門家でもなにも無いので、あくまでそういうものなんだ、という私の解釈前提です。

HSPとは正式名称「Highly Sensitive Person」といって簡単に噛み砕いて言うと「超敏感な人」とのことです。感覚処理感受性がとても高く、認知処理の深さや刺激に対する圧倒されやすさ、情動的な反応性や共感性の高まりやすさ、ささいな刺激に対する傷つきやすさといった傾向値があるようです。

これが先天的なものなのか、環境依存による後天的に身につける個性なのかは一旦置いておきます(おそらく私がHSPだとするなら幼少期の育った環境による後天的な要因かと)

HSPの人の特徴

私の自己解釈も挟みながらですが、いわゆるHSPの人の抱える特徴は以下とのこと。

  1. 情報処理の深度が深い
  2. 物事や環境、人間から過剰な刺激を受ける
  3. 共感性が高い
  4. 自分が自分である線・バリアがもろい
  5. 疲れやすい
  6. 自己否定が強い

なんだかこれだけ聞くと
「めっちゃ生きにくそう!不幸そう!」
って見えますよね(笑)

私自身がHSPであるかはいったん置いておいて、もし自分自身がHSPと仮定した時に実はそうでもないしこの特性を持っているからこそ爆発的な力を出せること、得てきたもの、自分を愛し解釈によって自己内省・メタ認知と行動特性の矯正でできたこともあるんです。
(当時は何が何だかわからずひたすらしんどかったですが、今はそう思えます。)

 

では、私の場合このHSPの傾向がどう出たか一つ一つ書いてみます。

【その①】情報処理の深度が深い

同じような傾向値をもつ人と話してみて、HSPという単語をちゃんと知るまでの自分自身のメタ認知・思考・振り返りを通しての解釈ですが。HSPの傾向をもつ人は、非言語的な「場や人の空気」を読み取ることに長けてるようです。

そして、だからこそ読み取り過ぎてしまうので必要以上に疲れてしまうとのこと。

これはまさにそうだなぁと思います。

 

おそらく外から見たら明るくて超話好きで、リーダータイプに見えたかもしれませんが
心の中は大忙しでした。

「この人、楽しそうじゃないな。」

「◯◯さんは××さんのこと嫌そう、じゃあ自分はこう発言しよう。」

「どうやったら雰囲気が良くなるかな」

 

と。どこかの文学作品から言葉を借りるとそれはまるで「道化」のようでした。
ですが、これって私からしたらめちゃめちゃ楽しいですしやりがいを感じるんですね。幸せでした。

 

ではこの特性・自分の強み(捉えようによっては弱さかも・・)はどこから獲得したのか。

 

それはさかのぼること幼少期。あまり人には言ってこなかったですし、言うことでもないですしそもそも振り返りたくなかったので蓋をしてきた過去があります。

私は25年前、愛知県の片田舎に生まれました。
父親は運送業、母親は当時仕事を辞めて専業主婦、父方のおじいちゃん、おばあちゃん、3歳下の弟の5人家族でした。

家は父方の祖父母との二世帯住宅。
父親は夜遅くに帰ってくるので、小学校高学年までは毎日祖父母+弟+母親でご飯を食べていました。

私にとってその時間はあまりにも苦痛でした。

というのも、年を重ねるにつれ他の家庭や過去を顧みるようになれたことで気がついたのですが、
どうやら私の家庭はいびつな構造だったようです。(前提家族にはとても感謝していて大好きです。)

 

逃げ場のない環境の中で、私はいつしか自分を殺し空気を読み、どう振る舞えばバラバラで相反した人間関係をつなぎとめられるか道化を演じる人間になっていました。重ねてですが、それがあったからこそ出来たこと、自分の強さ、人との出会いがあったので今は当時の環境に感謝しています。

 

さて、どういった家庭だったかですが・・。

 

毎日夕方16時、17時頃から家族揃って(いわゆる一家団欒の)夜ご飯の時間です。
祖父母は1階、私たち家族は2階で暮らしていたのでご飯の時間になると1階の台所からおばあちゃんが呼びかけます。

 

「ご飯できたよ〜」

 

その声を合図に私たち家族は1階の居間に集まります。
食事が始まると一般的な、おそらく一般的な家族の会話がはじまります。

 

「今日は〜と遊んだ。」
「ピアノのこういう曲弾いてる。」
「お父さん、お母さんと〜に行った」
などなど。

みんな一見笑顔で、絵に描いたような一家団欒の会話ですが
時々誰かの発言でピリッとした空気が流れることがありました(祖父母も母も笑顔ではありますが。)

また、当時幼稚園生、小学校低学年の私ながらの感覚ではありますが
遠回しに何度かに一度母親に対して婉曲的にいびるような言葉もありました。
その時の母親は笑っていました。

地獄なのは食事が終わり、片付けが終わり、就寝前の母親・父親・弟と二階部分で過ごす3-4時間でした。
食事の時は一見温かい空気が流れ、笑いあって美味しく楽しくご飯を食べていたはずなのに。
ちなみに、母親は毎日365日就寝前にビールを5本ほど飲みます
(その影響もあって私はビールが大好きです。どこかで母親とつながっているような気がして。)

 

酔った母親が私に対して泣きながら、時には怒り狂いながら言い放ちます。

 

「あなたが〜なんて言うから、・・・になるじゃん!!!!」
「なんであんな事言うの!・・・って思われるじゃん!」
「おばあちゃんって〜だよね。意味がわからない。」
「なんであんな人なんだろう!」

 

笑っていた母親が豹変します。
なので、東京に来るまではお酒を飲む人が苦手でした。人が人でなくなるので。

 

5歳、6歳、幼いながらにとても苦しかったです。
そして幼い自分がこう言った環境で何をしだすかというと、幼い無邪気であるからこそ双方に対して自分がどういう話題を投げかけたり、おどけたり、気を遣えば何かしらうまくいく、その場は取り繕える、母親も祖父母も傷つかないという今考えると相当な顔色伺い、自己の否定、道化をするようになりました。

 

ここから幼いながらに学んだのが、
・人は信じられない。怖い。何が本当かはわからない。
・自分の自由意志を出すと、誰かが傷つく。
・よく分からない歪んだ共感性
・多人数の中にいると、疲れる。敏感になる。
・自分がどう振る舞えばいいのか、正解を探すようになる(場面によっては吃音になる。)
・普段笑っている人が、仕方ないながらも急に怖くなると思考が停止する。

ここまで書きつらねていましたが、
少々苦しくなってきたのでまた思考が固まったら、筆が進んだら加筆していきます。

 

稚拙な文章ながらここまでお読みいただきありがとうございました。
それではまたどこかで。