かなりあと申します。

25年前に愛知県の片田舎に生まれ、大学進学を機に上京しました。
2020年3月に大学を卒業し大学の頃から勤務していた某ベンチャー企業にそのまま就職し現在に至ります。

わたしは物心ついた3歳から小学校5年生までピアノを習っていました。
ピアノを始めたのは母親がきっかけで、わたしを産んだ時から「この子にはピアノを弾かせる!」と決めていたようです(笑)

いろいろと事情がありまして小学校5年生を機に長い間ピアノから離れていましたが(みるのも嫌。トラウマ。)
コロナの在宅生活(いわゆるおうち時間)や、とある人がきっかけで10数年ぶりに復帰しました。

約半年前からピアノを弾き始め、今では週に1回スタジオを借りてみっちり個人練習するほど楽しく打ち込んでいます。

今回は、幼少期から今に至るまでのピアノとのおつきあい、私にとってのピアノというテーマでお話しします。

稚拙な文章ではありますが、ぜひ読んでいただけますと幸いです。

母とピアノ

当時はあまり自覚がなく、ただひたすら怖くてピアノを弾いていました。
ですが、今思えば自分で言うのもおかしな話ですがめちゃめちゃピアノが上手かったです(笑)

そして今思えばですがその道で食べていこうと思えば食べていけるほどの才能があったようです。
(今思えば嫌すぎて辞めたのもったいなかったなーとブランクの大きさを痛感しています笑)

普段は優しく、甘えられる母親でしたがピアノのことになると人が変わりました。

当時は他の家庭がどうとか分からなかったのでこれが当たり前と疑うことも知らなかったですが。

3歳の頃から平日は幼稚園が終わった後1日3時間、休日は8時間ほど母親の指導のもと練習していました。
もちろん世間一般で言う「ピアノ教室」には週に一度1時間通ってはいましたが、基本的に指導方針と練習は母親のもとでやっていました。

間違えたり、表現をミスったりすると大きなため息が出るか、
イラッとされて叫ばれたり。時には物が飛んできました。

それもあり、今でも「ため息」や「大きな声」や「怒り・呆れの感情」にはかなり敏感です。
そういった局面(自分に対してであれ他人同士の会話であれ)に遭遇すると頭痛と耳鳴りがし、動悸が止まらず思考が止まります。感情が制御できなくなります。怖いものですね。さすがに25年も生きていればもうそろそろ克服したいものです。

基本的に同じところを何度も、何度も何時間もずっと練習していました(常に母親の横で。)

ですが、ピアノが終わると母親って優しいんです。
ですし、母親にとってはピアノが上達したり(一定才能のある我が子)が誇らしいようで外では自慢げでした。

私はそんな母親を見てとても嬉しかったです。

「わたしはこれでいいんだ。喜んでもらえてる。」

そしてそれがその後の私の人格形成に大きく影響を与えることになりました。

ずっと蓋をしてピアノを見ないように、触れないようにしていた過去を長い年月をかけて見つめ直せるようになり、初めてこういった形で人にそこまで話してこなかった過去をつらつら書き綴っているのでどこか愚痴みたいに聞こえるかもしれません。

ですが、今では心から母親に感謝しています。
そして怖かった、嫌だったあの当時の自分や母親を愛おしく感じます。

今はこれを直接母親の目を見てはとてもでないけどできません。
吃音っぽいのですが、言葉よりも涙が先に出て伝えられないのです。
もう少しピアノに向き合い、伝えるべき時が来たら直接伝えますね。

長くなりました。
話を続けます。こうして日々ピアノの練習をしていて、私の通っていた教室では2年に一度大きな発表会がありました。

(当時の写真や記憶は辛くて思い出さないようにしていましたが、時間が経つにつれ今では良い母との大切なかけがいのない思い出です。)

2年に一度の悪夢「ピアノの発表会」

私の通っていた教室では2年に一度、他の教室と合同で地元の大きな音楽ホールで発表会を開催していました。
そこでは大人から子供まで幅広い年齢層のピアニストが一堂に会し、演奏します。

母はこの発表会を一番の目標にしていました。
今考えるとそこまで熱心に指導してくれ、また愛情の裏返しだったのだなぁと感謝・尊敬しています。

発表会の課題曲が決まるのは開催日の約1年前から。
発表会の課題曲が決まると毎日の母親との練習時間もヒートアップします(質も量も)

幼い私は練習が嫌すぎて、また練習中の母親が怖くてわざとピアノが弾けなくなるように
扇風機に指を突っ込んだり、
転んで怪我をしてみたり、
なんとかしてピアノから逃げていました(笑)

我が家のピアノは「電子ピアノ」でした。
当然ながら発表会本番で弾くピアノは「グランドピアノ」なので、電子ピアノとはタッチや音の響きに雲泥の違いがあります。

よくも悪くも完璧主義だった母親は本番に近い形で練習させるために、
車で1時間半かけて私と一緒におばあちゃんの家に通っていました。

当然ながら幼稚園、小学校低学年の私はおばあちゃんが大好きだったので
おばあちゃんと会ったらいろんなことをおしゃべりしたり遊んだりしたかったのですが。

おばあちゃんの家に着くなりひたすら練習。
5時間ほど練習して終わると、すぐに車でまた1時間半かけて家に帰りました。

そんな生活が幼少期続いていました。

発表会ではピアノを弾くだけでなくピアニストとしておめかしする、というイベントもあります。
(いわゆるドレスコード?)

母親は裁縫が好きでした。
発表会の晴れの舞台で、練習の成果を遺憾なく発揮して欲しいとの思いから(当時はそうは思えませんでしたが、今思えば。。)、ドレスを一から発表会のたびに手作りしていました。

私は幼い頃から「ピンク」「スカート」「フリル」などが苦手で身につけたくはなかったのですが、母親は「大丈夫だから」とピンク・フリル・スカートのドレスを私に着せました。

幼い頃は発表会が嫌で嫌で仕方がなかったので、
発表会当日の記憶は残念ながらありません・・。

とにかく、発表会が終わると1週間ピアノの練習をしなくて良くなるし、
美味しいご飯を家族と食べにいけるしで達成感と開放感がすごかったです(笑)

小学5年生、ついにピアノをやめる!

小学校5年生まで平日も休日もピアノ漬けの毎日でした。
本当は、学校が終わった後に友達と遊びたかったのですがレッスンや練習のため門限は毎日16時。
友達と遊んでも、自分だけ先に帰るという場面が多くありました。

そんな小学校生活を過ごし、5年生になった時「バスケ」に出会いました。

それまでろくに運動はしたことがなかったのですが、
友達に誘われて地域のミニバスチームの練習に参加しました。

今までほぼピアノの生活だった私にとって「ボール」「チーム戦」はとても新鮮で、すぐにのめり込みました。

また、同時にこれまた友人に誘われて地域の塾の夏期講習にも参加してみました。
それまで勉強にこれといって熱心に取り組んだ記憶はないのですが(生活がほぼピアノだったので)、
塾で実施されたクラステストでなんといきなり1位獲得(笑)

今までピアノづけの生活である意味「やらされてる」という感覚が強かったのですが、
ここで初めて心から、自分の意思で「やりたい」という物が見つかりました。

確かにピアノをやりながら同時に打ち込む、という事も出来たのですが
「やらされている」という感覚を持ち続けるのが耐えられなくて
母に懇願しました。

「勉強でこれだけ成績を出してる、もっとやりたい。」
「バスケがすごく楽しい。もっと打ち込みたい。」

母親にとって「ピアノをやめたい。やめる。」と言われることがかなり衝撃的だったらしく、
毎日毎日話し合いました。

なぜ辞めるのか、ここで辞めた時のもったいなさ。
辞めてまでやりたいのか。

約2週間毎日話し合って、最終的にピアノをやめることになりました。
(母も私もたくさん泣きました)

ピアノをやめてから。

自分の中で「やらされている」感の強かったピアノをやめ、心からやりたい、自分の意思で選んだバスケと勉強にのめり込みました。

結果的にその後小学校を卒業してからバスケに関しては、高校卒業まで部活動として続けました。
最後の大会の時、大泣きしました。やりきった、と。

そして勉強に関しては小学校を卒業して、地元の中学校に上がり
部活動を続けながら常に成績校内1〜2位をキープ。バスケも勉強も楽しくて毎日が充実していました。

高校受験で地元の公立進学校に入学し、またバスケ・勉強を続け大学受験では東京の国立大学に進学しました。

私にとって「小学校5年生」は大きな人生の転換点でした。

25歳の私とピアノ。

25歳になり、今では毎週土日にピアノを弾いています。
かつての「やらされている嫌なピアノ」ではなく、「楽しい」という自分の意思で日々楽しんで打ち込んでいます。

愛知を出て、実家を出て東京で5年という月日が過ぎました。
20卒として大学を卒業しコロナ禍の中で社会人として働き始めました。
また、東京での生活でたくさんの出会いと別れを経験し、社会人という大きな転機を迎え自分と向き合う機会が増えました。その中で過去の捉え方や見え方、自分らしさを取り戻した気がします。

ピアノは不思議です。

同じ曲であってもその時の気分や年齢や、天気などで全く違う音になります。
これからピアノを始めてみよう、子供にピアノを弾かせたい!そういった方は是非その純粋な「ピアノが好き」という気持ちを忘れないでいただけたらなと思います。

私はかつて「やらされた・嫌な」ピアノでしたが、立ち返ってみるとピアノは好きだし今でもこうして弾いて打ち込めるので感謝しています。

来年のコンクールに出場することを目標に、
そしてそのコンクールで母親と弾いた曲を弾くことを目標に日々練習に打ち込んでいます。

母親への親孝行として、コンクールに招待できるよう日々練習頑張ります!
(もちろん楽しみながら)

「せっかくなら、形として残しておこう」
ということで、インスタグラムに練習記録を投稿してますので
是非観ていただけますとさいわいです。

ピアノってステキな楽器ですよね。
またこうしてピアノの楽しさを教えてくれた母に心から感謝しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。